‘Shibuya Lonely Girl’ Video Installation

Shibuya Lonely Girl 21min Loop Video Installation, 2016

Director : Umi Ishiihara
Cast : Hanae Kiyo, Umi Ishihara
Cinematographer : Charlie Hillhouse

Group Exhibition New Contemporaries at South London Gallery, London, 2019
Group Exhibition at Gallery X by PARCO, Tokyo 2016

’Shibuya Lonely Girl’ features a young Shibuya girl, sometimes she messes things up, sometimes she is sad or depressed but she lives her life for the fun moments. In these moments she can forget everything which has come before her in life. She needs these moments to keep her going. 

In constructing this work I tried to embracing the feeling of the fluctuating heart, bouncing between happiness and sadness. Playing with the stereotypes of youth culture, such as loneliness, and a life of excess, I carried this drunk girl from my parents apartment on edge of Shibuya, to Shibuya Station to wait for the first train home. This is a performance archive video. 


グループ展 New Contemporaries at サウスロンドンギャラリー, ロンドン, 2019
グループ展 シブカル祭 at Gallery X by 渋谷パルコ, 東京 2016

作品についてのテクスト
2016年に渋谷の街で生きる女の子が、ときおり失敗したり、ダメになったり、落ち込んだり、でもまた嬉しいことがあって、テンションが上がって、あの時の失敗や悲しみを忘れちゃう、みたいな心の揺れ動きについて考えた。孤独を感じていること、遊びすぎてしまうということなど、ある種ステレオタイプな若者像をもう一度内側から肯定するための作業でもある。渋谷のはずれに位置する父親のアパートから渋谷駅まで、酔っ払っている女の子を自らひたすら担いで送っていく様子をパフォーマンスの記録としてドキュメントした。

Lonely Girl Installation view
Lonely Girl Installation view
Lonely Girl Installation view
Lonely Girl Installation view
Lonely Girl Installation view

 

ロンリーガールダイアリー

クラブかライヴハウスでたまに会うくらいの、そうゆう距離感の、なんとなくずっと気になっていた女に突然連絡して、自分が寂しくなるくらいのゼニ銭を渡して映像を撮影させてもらう。こんな感じで、とかはあるけど、基本的にはその子と渋谷の道ばたでいつか何人かで飲んだときの、あのグルーヴが欲しかっただけだった。それでアタシはその女に酔っぱらってるふりをしてもらい、っていうか実際に撮影前に二人で渋谷区東にあるローソン前で深夜にストロングゼロのロング缶を飲んで、彼女の育ってきた環境とか好きな男の話とかを聞く。アタシは彼女の話を聞いて、自分の鼓動がトクトクと鳴ってることに気づく。アタシたちは、育ってきた環境も男に対する恋の落ち方もすっげー似ていて、なんだか似ているねって二人で弱々しく笑った。自虐まではいかないけど、たぶん限りなく自虐に近い笑いだった気もする。そして彼女は、最初からアタシたちは似ている気がしていたよと言った。アタシは頷いた。アタシたちの違いと言ったら、彼女は愛の渦中にいて、来年には恋人と結婚しようと思ってるんだという話を屈託もなくできて、この人に会えて変われて本当によかったという話ができて、アタシはそうじゃないということだった。この女の繊細さも、抱えてるものも、勝手に痛いほど理解できる気がしたけど、愛に満たされてるっていうそれだけで、この子はアタシとは違う人間で、この子はなんて美しいんだろうと心の底から思った。彼女の優しさがすごく好きだと思った。たぶんこれからもっともっと仲良くなれるような気がしたよ。でも、と同時に自分の心は訴える。アタシは未だに色んなことがそのまま、クズなままで、もう一回言うけど、クズなままで、生きていくことが不安でどうしようもなくて、たまには生き延びることを辞めたくなるし、弱って泣いてるところを男に見せても根本はたぶん何も変わってなくて、仕方がないからたくさん美術とか映像とかを作りまくって自分を保っている感じで、こんなクズのアタシが美しい女と、或いは愛しあっている男と一緒にいる資格なんてないような気がしてしまうんだ。や、ゆって、ものを作ることは、すごくすごく気持ちよくって、ときおり上手くいかなくて落ち込んで、でもそこも含めてめっちゃドーパミン出るし、アタシは映像を撮ったり、美術を作ることが本当に大好きなんだっていう当たり前の快感を前に打ち震えることしかできない。だけど、この状況はたぶん「本当の」幸福とは呼ばないんだろうっていうのが感覚でなんとなく解っていて、それはアタシを少しだけさみしくさせた。

こんな話をしながら、気付いたらいい感じにアタシたちは酔っぱらって、ローソン前を離れて、そして撮影が始まる。彼女と会う前に、アタシは内緒で残波の水割りを4杯飲んでいた。チェイサーにビール。なんでこんなことを自分がしちゃうのか、ちょっとよく理解できなくて、しんどい。大人になったつもりで生活しているけれど、やっていいことと、やっちゃいけないことの区別がまだついていない子供時代をずっと過ごしてるような感じで、身体ばかりがデカくなったりエロくなったりしている自分がどんどん嫌いになってゆく。この映像は、映像作品じゃなくてパフォーマンスの記録にしようと思いたって、アタシは酔っぱらって身体の重くなった女をおもむろに抱えて、そして渋谷の街並みへと運び出す。自分が面白いことをしているっていう自信がない。でも、辞めることができない。それもしんどいことの一つだ。久しぶりに誰かをおんぶする。最後におんぶしたのはいつだっけな、ずっしりと重みが身体にのしかかり、後悔する、重たくて。なんでアタシは女を運んでるんだろう、や、これはアタシがこうしたいと思ってやってるパフォーマンスなんだよなと、運んでるうちに悲鳴をあげる自分の身体、歯を食いしばりながら考える。一緒に住んでいる男にゲラゲラ笑われながら家でビリーズブートキャンプを3日間だけやって身体を鍛えたつもりになったけど、まるきりダメだね。アタシもだいぶ酔っぱらっているのに、うーん人を運ぶなんてなあ。疲れ果てて、真夜中で、重たくて、寒くて、少し眠たくて、でもまだ朝日はあがってきてくれず、暗くて、さっきあんなに酒を飲んだのにまだなんとなく飲みたくて、でも何よりも作品を完成させたいから、必死で愛してるものについて考える。君の荒れた手とか、歌声とか、もっと言っちゃうと身体が動いてる瞬間とか、髪の毛、鉄っぽい味のするベロとか、そうゆうことを考えて、渋谷の街を歩く。どこまでも孤独なのは、自分が悪い。これは未来への祈り。

投稿者:ウミ
DECEMBER 9, 2016

 
 

「ロンリーガール聴きに来たやつ!選挙行くって約束しろよ!」「ロンリーガール、立ち上がれ!」

 

ECD No Lonely Girl by ECD feat. K Dub Shine
VOTE DEMOCRACY AND NO NUKES Protest at Shibuya Station FEB 2, 2014